2010年8月4日水曜日

虐待~残酷に取り扱うこと~

近年、「虐待」についての事件が多く取り沙汰されている。「虐待とは、残酷に取り扱うこと」「残酷とは、むごたらしいこと、しいたげられたさま」と辞典には記されている。私は幼稚園への途中道、路地に連れられ頭や顔を母に叩かれ通った日々がある。腕をつねるようにつかまれた記憶がある。そのあと、決まって母は優しい笑顔で私を見る。「誰にも言えない」そう思った。でも、このことが「虐待」だったのかというと、意見は様々だろう。生母の死去2年、継母として周囲から孤立していたのかもしれない。今、思うと「原因」になるような事実が私にあったのかもしれない。 幼い日々のことだから、自分に都合良く覚えているのだろうか。忘れられない記憶に、母が部屋に灯油をまき、マッチを擦ろうとしたのだが手が震えて何本ものマッチ棒が折れては絨毯の上に落ちてゆくシーンである。こんなふうに、悲しみの1コマ1コマを刻んで生きている。
どんな環境の中でも、どんな風なことをされても、子はそれを受け止めないと、乗り越えないと生きてゆくことができないと思う。
子には、目の前の親しかいない。命が芽生えた時の気持ちを少しだけ、思い出して欲しいなぁ。
おばあちゃんの口癖だった「あんたがしたように人様にされるんやで」
取り留めなく書いてしましたが、自分も含めて、イジメたりしないでほしい。何物に対しても。

2009年4月12日日曜日

言葉にして伝えてみた


寒い朝、四条烏丸を南に降りていた。右側から白い杖を持ち足早に交差点を渡る60代の女性が見えた。東西南北に道は広がり、まだ細い通りが幾つも折り合う京都の町。道は、わかりやすいというが辻に入る車道と歩道の段差が、足先ちょうど引っかかってしまうくらいの場所が多い。案の定、彼女もあっという間に足先をふいにとられた。

「この段差、危ないなあ」

私は思わずぼやいていた。その瞬間、彼女は私の腕にかきついた。バス停を探しているらしく、また短い横断歩道と微妙な段差をクリアしなければならない。

「あれ?腕はこんな持ち方で良かったんでしたかあ?」

昔、ヘルパー研修で視覚障害者の介護の講師で教える側があり、とぼけてみたら、彼女はしっかり教えてくれた。彼女達はヘルプしている側に合わせて歩くことで感謝を表している気がする。お互いに合わせて、速度が決まってゆく。私の腕に信頼を寄せて。バス停が見えた、ルートの番号を読み上げる私。その時、バス停にいた若い女性が私に目礼、もう大丈夫。バトンは渡った。もちろん、他人同士である。何だかうれしかった。言葉で仕草で分かり合える人がいることに。気づいて良かった。気持ち、ほんわか温かい。

二年を振り返って

全くの畑違いの茶房という商いは、過酷でした。まず、お客様を待つということ。いつ、どのような方が、ましてや、わざわざ大通りから離れた場所に何を求めて来られるのかが、気にかかっていました。そして満足して帰っていただきたいと願ったものでした。自分の力を過信して笑顔で接すれば、必ず伝わるなんて思ったりしていました。会話の中で一喜一憂しながら。拒んでいた新聞取材を受けてしまい、自分の描いた路線と違う道を走り出したお店に、振り回され体調を崩してしまったあの頃。

 

思う通り、自分の考えを放ち仕事をしていた私には、またココロのどこぞに穴が空き壊れてゆく音が聞こえて、自信が無くなり商いをさせて頂くには足りないモノがいっぱいなことを思い知ります。

 

頑張ろうと踏ん張ろうと思うほど、ダメージは大きくなり。

 

休んだり開けたり、ワガママなお店になってしまいました。

 

焦りよりも、申し訳なさが湧き出て来ます。

 

休みの間は、ひどい自己嫌悪や罪悪感、無気力、辛くて、横になったままの日々。入院。

 

良くなったり悪くなったりの繰り返しの私に、いろいろな形で寄り添ってくれるお客様方。

 

ありがとう。

感謝しています。

自分を見つめる方法が。

今。一つの道を決めようと…決まるかもしれません。

「妊産婦死亡」で思うこと


少し前にこの事件が不幸にも重なり、ニュースをにぎわしたことがありました。

「またか・・」

怒りと悲しみとあきらめが渦巻きます。

 私の母は妊娠9ヶ月のとき、自分で出血に気づきしばらく様子をみていたら量が増え続けました。祭日だったので、留守番をしていたようです。

 1人救急車を呼んで用意していた荷物を持ち、車に乗り込み、かかりつけ医にいったところ、手に負えないと断られ、つぎの病院に辿り着くころには、大量の出血ですべはなかったそうです。

 40年経っても、こんなに悲しいことはあるのですね。母の顔も声も抱いてもらった記憶もなく、自分にとってその存在さえなかったのですから。

 どうか、自分の身になってシステムを考えて下さい。

そして、この世に生をいただいた子供たちが、小さな幸せを感じられ笑顔がたくさん見られるような毎日を過ごしてほしいと願います。

ここにも愛が



殻に閉じこもったまま、ベッド回りのカーテンはぐるりとまわしたまま。話したくない

愛想笑いもイヤ

自分自身を探したい

ひとりにして

 そんな頑なな気持ちがカーテンのそとから、障害を受け入れ、仲良くしている笑いの声で、なんとなく・・自分がひどく甘えてる気持ちがしてきました。

 朝6時半、カーテン全開。朝の空気を入れ換え、輪の中に入りました。

 死と向き合った人たちは生に貪欲です。そして深い慈しみがあります。

 生きてきた流れを笑いにして、力づけてくれます。なんの為の要塞だったんだろ・・ここにも愛がありました。

あなたでよかった


昼間から、胸がざわついてパニックになりそうな予感。薬を頓服でいただいた。顔がこわばる。胸が苦しい。息がしにくい。辛いなあ。堕ちてくよ。ベッドの中、カーテンはぐるり一周。一枚ガラスから見える庭も空も見たくない。どれだけたったかな。少し眠ったみたい。でも今日はバランスが悪い。

 やっぱり、夜また・・。「すみません、薬を。」若いけど光ってる看護師さんが当直だから、安心している私。そっと気にかけてくれて、思わず

「あなたでよかった」

って口からこぼれてた、大変な仕事、昔自分もしてた大好きだった仕事。上手く息抜きして、私たちを見ていて欲しい・・

愛とは人を想い喜びを与えること



テレビが苦手な私に

  朝一番に熱い珈琲を

 飲む私に

  差し入れてくれました。ありがとう。

  夜が少し

 短く感じられそうです。